生物嫌いのたわごと(!!!!)

前回、「自然と触れ合う」のと「自然を玩具にする」を混同している向きがあると書いたつもりですが・・・。

自然との接触が多くなると、この花の名前は、この鳥の習性は、この虫の色は・・・、というように、薀蓄を傾けたくなるのが人間の性です。
まあ、そうした、知識欲、見栄っ張りということがあるから、人間は成長するし、進化していくのでしょう。

で、知識が深まると、何故か収集癖が強まる人を多く見かけます。私も、花の写真を撮ってパソコンにデータベースとしておいてあります。でも、この収集というのが曲者なのです。
収集を始めると、どうしても、珍しいものに目が行きがちです。

で、前回出てきた、希少種の問題です。
希少種というのは、貴重なのでしょうか。多分、貴重だと思うのは、その分野に関心のある人だけ、他の大部分の人は「なに、それ」というようなものでしょう。
一つだけ、貴重という点で評価するのは、学術的な意味合いにおいてでしょう。

動植物などの希少種の場合、もう一つ、意味があります。それは、そうした動植物が存在する環境がそこにあるという事実です。

ところが、学術的な研究には程遠い、素人の毛の生えた程度の街の研究者たちが、希少種が発見されたとなると、わんさか集まります。また、自然保護団体の人の中には、その希少種そのものが貴重だと保護活動を声高に主張します。

貴重なのは、学術的な意味合いにおいてと、そのものが存在できる環境そのものなのです。後は、ものめずらしさゆえの、物見遊山的な興味でしかありません。
ですから、そうした、物見遊山を狙って観光資源化しようとの動きが強まり、最終的には、その物見遊山が環境を破壊して終わるというのが一つのパターンです。
そして、馬鹿な自然保護団体のなかには、その希少種を別なところに移して、増やすのだと一所懸命頑張ったりします。

その環境こそが貴重であるのに、希少種が貴重であると誤解しているのです。
希少種が貴重であるのは、その希少種を商売の道具にしようとしている人と、それに付和雷同する物見遊山の観光客だけなのです。

そして、環境省及び各県は、それをあおるがごとくに、レッドデータブックなるものをつくり発表するのです。そのお金があるのだったら、発表せず、その環境が維持できるような施策を行うべきだと思うのは私だけでしょうか。

希少種について、ちょっと一面的な見方を書きましたが、次回は、希少種と私たちの関わり方について・・・。

といって、今回同様、羊頭狗肉になりそうだなあ・・・。

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